真実の口

本物は見たことがないが、似たようなものが近所にあった。
それは神社の裏手にある大きな岩のことだった。
おそらく昔はその岩にお供えなどを置いていたのだろう、自然にはできそうもない小さな横穴が空いていて、A4ノートくらいなら楽に置ける広さがあった。
本物と同じく嘘を見極めるという触れ込みであったが、違ったのはその穴に入れるのは手ではなく、その人の大事なものということだった。
噂ではその言葉が真実ならその大事なものは残されているし、嘘ならそれは無くなってしまうということだった。
他愛ない子どもだった私もその噂に釣られ、その当時大事にしていた消しゴムなんかを懸けて、友人達とその真偽判定に一喜一憂していたものだった。
今思い返せば、私の消しゴムは誰かが持っていったのだろう。そういえば友人がそのあと同じ消しゴムを買ったと言っていたような気がする。そういう良くある噂話の一つだったのだ。


ただ、その岩について一つだけ忘れられない思い出がある。
あれは高校3年の春だった。
進学の書類の関係で、たまたま見た私の戸籍。そこに書かれていた養女の文字。
信じられなかった。私が小学生のとき見せてくれたへその緒はなんだったのか。あのとき発表した名前の由来は嘘だったのか。
翌日急に学校を休んだ私を気遣う母の顔は本当に心配しているようだった。
家捜しをすると私のへその緒はすぐに見つかった。
これが生母のか、それとも偽者なのかはわからない。私には再び開けて見る勇気さえなかった。
そのへその緒を握り締め、私は神社へ向かった。
岩は変わらずそこにあった。今は穴には何も入ってはいない。
私は母さんの子です、と祈りながらへその緒を穴に置いた。
何を信じていたのかは定かではない。へその緒なんて無くなってしまえばいい、とは考えていなかった。ただ、大事に思っていたかどうかは判然としない。
何をはっきりさせたかったのかもわからないのだから。
翌日、岩にはへその緒は無かった。
予想していたのだろうか、私はあまりショックを受けはしなかった。ただ、呆然と家に帰り、ふと昨日へその緒を見つけた場所を見ると、なぜかへその緒がそこにあった。
無くしたはずの、持ち出したことすら気付かれてないはずのへその緒が。


その後、更に不思議なことに戸籍からは養女の文字が消えていた。
親にはこのことを確認したことはない。
ただ、ときどき思うのは、私は本当の母さんを見つける術を永遠に失ったのかもしれないということ。
嘘を真実にと願った私にその権利はないのかもしれないけれど。