進化の方向

人間の特性は良く学習力の高さだと言われる。
この場合ダーウィン的な進化論を是として考察すると、いずれ学習の成果はなにかしらの器官に統合される可能性が高い。つまり、人類は学習の必要性がなくなる。それが人類(すでに人類かどうかは怪しいが)の到達点と言える。


一方、学習とは何かというと経験によって生じる比較的永続的な行動の変化と言われている。端的に言えば記憶と思考のことだ。成功経験で行動が変わったりするあれのことである。
だが、われわれの記憶はそこまでしっかりしたものだろうか? いや、とても曖昧で万物の霊長などと威張れる代物ではない。虎で例えれば爪が豆腐で出来ているのに等しい。人類種が本気を出せば一生分程度の記憶くらいは蓄えられそうなものだ。少なくとも記憶の捏造は機能として必要ない。
ならば、別に理由があるのであろう。おそらくは思考に関係する類の。
ゆるゆるで曖昧な記憶の方が突飛な思考であったり、例外処理を生みやすいのかもしれない。基本的には多様性が生存の為には是であるのだから、進化の方向としてはそっちを狙っているのかもしれない。


さて、であるならば人間の写し身たるWEBはどうか。
どちらかというと全てにインデックスを貼り、綺麗に整理整頓し、曖昧なものを無くそうとしているように感じる。道具としてはおそらく間違ってはいないのだろう。ただ、そこに答えがあるかもしれないという可能性は思考にとっては非常に邪魔だ。
願わくば各種検索サイトには逆著作権を導入していただきたく思う。
(5年以内のWEB上の情報については著作権フリーで、それ以前については課金とか)
きっと5年も経ったら消したくて消したくて仕方なくなっているはずだし。
ネット探偵がメアドの文字列から解析して本人に到達するのも時間の問題だ。
誰かバイツァ・ダストのコードを書いてくれないかしら。JavaScriptで動くやつ。