自分基準病

日にオムツカバーを3回替える必要にかられると、排泄くらい普通にしろよ、と理不尽にも思ってしまう。
どう考えてもできるはずがないと完全に理解しているのに、それを求めてしまうのはある種の病気ではとすら思う。


自分ができることについては点が辛いのは多くの人に共通する欠点だ。
さらに言えば、自分の得意な分野と相手の苦手な分野を比較しがちである(byほぼ日手帳
気をつけないとな。


ただ、子ども側もそれは同様なようで、近頃は謎のベビーサインを出しては親を路頭に迷わせている。
子ども自身ははわかって当然という顔で待っているが、そんなのわかるはずがない。
なのに、間違ったものを持っていったりすると烈火のごとく怒る。折角持っていったものを払いのけたりする。
動物はみなそうなのだろうか?


親だから立場が上なわけではない。子どもが上に見てくれるから、親として怒ったりできるのだ。
子どもの能力がいつか私を追い越したときに、それでも親としていられるかどうか。
自分を基準に育てている限り、ちょっと難しいように思う。