忘却の彼方から、覚醒の此方まで

寝返りを忘れたということに驚きを隠せない。
昨日まではあんなに裏返ってたというのに、今日はまだ一回も寝返りをうってない。
ひっくり返ろうとしてもなんだか苦しそうで、明らかに昨日よりも下手になっている。
楽器やスポーツでも、一直線に上達するわけでなく踊り場のような停滞期が必ずあるというけれど、子どもの発達についても同じようなものがあるのだろうか。同じ体を使うものなのだから、無いと考えるほうが不自然なのだろう。
そう考えると、我が子ながら感心する。
なぜなら、その踊り場は努力を止めない人間だけにしか突破することはできないからだ。
伸びないからと言って止めてしまえば、そこで人間の成長は止まる。
私たちは我が子の成長を無条件で信じているけれど、それは本来確約されたものではない。
想定した伸び代は単なる幻影なのだ。


子どもはいつまでも成長するものではないし、いつの間にか育つものでもない。
それを自覚しないままだと、背中を押す時期と着地地点を見誤る。
それは、親だって同じだ。
いつまで経っても成長しないかもしれないし、いつの間にか親ではなくなっているかもしれない。
今、自分がどちら向きの踊り場に居るのか。それが問題だ。